洞窟の比喩 と 涅槃の話

頭で考えても真理は理解出来ない

大昔から人は
「悩みを感じず生きたい」
という一点を追求してきました。

多くの偉大な哲学者が
問題を解消するために
「真実」を探し求め
ああでもないこうでもないと
言葉を尽くしていますが

結局凡人から見れば
分かったような分からないような…。

私も多感な十代、
繊細な二十代 (そこ、笑わない!)
の頃に参考に古典を読んだり、
知識として仕入れたものが多々あります。

その中に、
かの高名な プラトンの
「国家」という書があります。

その中でイデア論という
「真の善」について比喩で述べた
有名な箇所があるのですが、

過去の私はそれを読んでも
「何が言いたいのかよくわからないです」
という感想でした。

それが、つい先日読み返したら
「首がもげるほど同意」するほどに
納得がいく内容に変わったのです。

その比喩は次のようなものです。

※動画でも解説しています!⇩

 

洞窟の比喩

あるところに、
洞窟で一生を過ごす人々がいました。

彼らは洞窟の
壁の方に向いた体勢を固定されていて、
洞窟の出口や
自分の後ろを振り返ることは許されません。

洞窟の比喩

 

洞窟の中央は松明の火で照らされています。

それぞれ人の背後に火があって、
彼らは壁に映って揺れ動く影を眺め、
それを見ながら想像を膨らませ、
そうしているうちにそれを真実だと
思い込みます。

無理もないですよね。
生まれた時から
その状態で過ごせば
彼らにとってはそれが
「世界のすべて」。

そして、自然と住人達の中で
「揺れ動く影が、
次にどのような行動を取るか、
その動きを予測したり、
上手に真似出来たりすることが偉い!」
というルールが出来上がったのです。


そんなある日
背後を振り返ることを
許された囚人がいます。

ですが、火の眩しさに目が眩んで
痛みさえ覚えたので、
彼は火の正体影の意味には気付けず
すぐに元の壁を見る方を選びました。


次に、鎖から解き放たれて
自由になった囚人がいました。

鎖が解けた囚人

洞窟の出口からさす光に導かれ、
彼はゆっくりと目を慣らしながら
出口に近づいて行きました。

そしてとうとう洞窟の外の風景を
生まれて初めて目にし、驚嘆しました。

何という眩い世界!

全てのものが光のもとに色づき、
鮮やかに煌めいている!

新しい世界

あの、空にあるものが照らすところが、全部明るく見える!

洞窟の壁に映っていた、
自分が世界だと思っていたものは
影だったんだ!

 

太陽というものを目にして
それが初めてはっきりと解りました。

なんて素晴らしいんだ!
みんなに伝えなくては…。

 


 

そう思った彼は
洞窟に戻って、自分が見たものを
仲間に伝えますが

洞窟に戻る

仲間は実際目にした事がない
太陽というものの意味がわかりません。

 

「あいつは背中の眩しい火を見て
目と頭がおかしくなっちゃったんだ」
…という者も現れて、
馬鹿にされて、信じてもらえずに
元の暮らしに渋々戻るのです。

しかし一度「本物」を見てしまった彼は、
壁の影にはもう「世界」を見る事は
できなくなってしまいました。


というのが「洞窟の比喩」のあらすじです。

(プラトンはイデア論を
「政治哲学」に結びつけて考えていたので、
洞窟の中に他の喩えも出していますが、
大筋には関係ないので省きます。)

私たち全ての人間が洞窟の住人

外の世界を見た「彼」の気持ちと
仏教を学び始めた人の気持ちは同じです。

この世界に生きている
私たちみんなが同じように、

「影」を見て
世界だと思い、その世界を上手に
表現しようと一喜一憂しています。

美味しいものを食べ、
美しいものを手に入れ、
若々しい身体を保ち、
名誉を競い
人より上に立ったつもりになって
安心しようとしています。

ショッピング

それが
「本物の世界じゃない」と気づくには、
鎖が外れる、何かのきっかけが必要です。

今になってわかりますが、
仏教こそがそのきっかけになる
最高の導き手なんですよ。

手錠

まず「我々は鎖に囚われている囚人だよ
と気づく手助けをしてくれ、
次に「鎖の鍵は自分が持ってるんだよ
と言い、
自分でその鍵を外せるようにしてくれます。

 

自分の足でゆっくり歩いて、
少しずつ光に目が慣れるように
周囲が見渡せるように、
導く教えがあります。

プラトンの書は
確かに真理を掴んではいるでしょうけれど、
全部を言葉で表現しようとします。
それだと真理は遠のくのです。

仏教の教えは全部
「自分でやってみな」なので、
感じたり体験したりすることが
そのまま学びになります。

まさに自分自身が
「洞窟から出た住人の彼」になるわけです。

 

だから、仏教を学んだあとだと
言葉だけの説明を聞いても
自分の体験に照らし合わせて
「ああ、あれのことね!」と一発でピンときます。

仏教も膨大な経典があって
弟子たちに様々な角度から
悟りについて語っていますから、
ブッダもプラトンも
言葉で表現できないものを
無理やり説明して大変だったんだなあ…
と感じます。

ここセラという実践を重視した
仏教の講座と出会えて
私はラッキーでした。

(プラトンの「哲人王」や
「真のリーダー」についての考察も
深まったのですが、
今回はここまでにします。)

難しく考えなくても、世界がシンプルになってきます

仏教が難しい…
確かに難しいんですが、
それは「頭がいいとか知識があるとか関係ない」難しさです。

発想の転換とか、思いもよらないことを受け入れる
そういうハードルを乗り越える力が必要だったりします。

そのハードルは自分の中の頑なさだったり、
生きづらさと直結しています。

だから、仏教を学んでいくと自然と自分の弱さや
足りない部分を受け入れて
乗り越えることができるようになり、

「なんだか悩まなくなった」
「変わったと言われる」
そういう体験をする人が
次々と出てくるんだと思います。

あなたもぜひ、
ここセラをきっかけに
仏教に触れて
「毎日幸せ」
「感謝しかない」
そんな生き方ができるように
なってみませんか?

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いつでも歓迎しています!
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